毎日消えちゃう人
ルラック(弊社)の前の通りを4・5軒行くと大きな交差点にぶつかる。
最寄りの駅は、この大通りを向こう側へ渡って右へ曲がって5分ほどのところにある。
このまっすぐな大通りには、ルラックから駅までのちょうど真ん中くらいに、もうひとつ交差点があるので、どちらの交差点で通りの向こう側に渡るのかは、いつも信号次第だ。
ただこの手前の交差点では、大通りを渡る青信号の時間が短い。
近所のお年寄りたちの話では、途中で赤に変わってしまいそうで、ここを突っ切るのは怖いというほどだ。
だから大概はこの信号は赤で、次の交差点で向こう側へ渡ることになる。
しかし、その日は、違っていた。
この信号は青だった。
向こうへ渡ると鰻屋さんが蒲焼きを焼くいいにおいが漂っていた。
鰻屋と言っても、ここ東京の下町では、ちょっと印象が違う。
鰻重を出す料理屋の他に、店先で串に指した蒲焼きを炭火で焼いて夕食用の惣菜として販売する店があった。
ここは、そうしたお店でたいそう人気があった。
その鰻屋さんの数軒先には、昔ながらの洋食の定食屋さんと和食の定食屋さんが、軒を連ねていた。
鰻の臭いからして、3時近かっただろうか。
兎に角、昼食の時間はとうに過ぎていた筈。
定食屋の出入りが少なくなったこの時刻に、ひょっこり和食の暖簾から出てきた男があったので、目を引いた。
見るとはなしに、私の3・4メートル先を行く、この男を目で追っていた。
この定食屋さんから2軒くらい先に行くと路地があり、その男はそこでぷっつりと消えてしまった。
あれ!一瞬は煙にまかれたように感じもしたが、たぶんここを曲がったのだろうと気を取り戻したが・・・
その路地に、彼の姿はなかった。
う〜ん、きっと近所の家に入ったのだろう・・・。
その日はそれ以上、気にもしなかった。
またその翌日のこと
会社から打ち合わせに出向く用事ができて駅へと向かった。
珍しいことに、またもや大通りの信号は青だった。
通りを渡り、蒲焼きの匂いをかぎながら鰻屋さんの前を通って・・・。
あれ、また昨日の男が、暖簾をくぐって洋食屋さんから出てきた。毎日、同じような時間にやってくるのだな〜。
私は、またこの男を目で追って、後から着いていく形になった。
路地に来ると、男は曲がらなかった・・・、筈だ。
ただ、すっと消えてしまったように思えたのだ。
おかしいな〜。と思って見回しても男の姿は見つけられなかった。
それから数日にわたって、同じことが繰り返された。
さすがにおかしいと気がついた。
なぜ、あの信号が青なのかを考えても不思議なのだ。
数日後の日曜日、おかしなことがあるものだと気にしつつ、同じような時間に今度は犬の散歩で、またこの道を行ってみた。
その日は、鰻屋さんも、洋食屋さんも、お休みだ。
しかし、その男は、休みの筈の洋食屋さんから出てきて、路地の角で煙のように薄くなって、すーっと消えていった。
その路地の角に立つと、誰が備えたのか、あれはユリだったかな。
きれいな花束が手向けられていた。
その日、
家に帰ると、家人から数日前にこの大通りを突っ切ろうとして交通事故があったことを聞かされた。
その人だったのだろうか・・・。
生きている人と変わらぬ姿で見える!人間と言うエネルギー体。
もちろん、お化けや幽霊ではない。
これはきっと生あるものがもつ、意志とか思いなのではないだろうか。
私はこれにずっと悩まされている。
他の人からは見えないのだから、私ひとりが、びっくりしたり、不思議がって首をかしげたりしている姿は、さぞ、滑稽だろう。
この時の男の人は、本当に普通の人にしか、見えなかった。
彼は、いや、彼のエネルギーは、いったい何を伝えたかったのだろうか。
もしかしたら、「急いで帰らなくてはいけない。」という気持ちが、そのままそこに残ってしまったのだろうか。
そういう小さなことでも、人の思いは、なんらかのエネルギーとなってこの世に残る!
この人の思い、考え・・・、=エネルギー的なもの、それが見える!と考えれば世の中には、そう不思議なことはないのかもしれません。
最初はまったく疑問は感じなかったのですが、「あ、生きてる人じゃないんだ!」と思った瞬間に、すごく何かしなくてはいけないことがあった人なんだな。と気がついて気の毒になりました。それをわかって欲しかったのかな〜。