1枚の写真
あ、見えた。また見えた!
私には、ある女性の背後に、いっつも同じ写真が張り付いたように見えていた。
それが見えはじめたのはいつからだろうか。少し前からチラチラ見えるようになり、かれこれ、もう3ヶ月も経とうかと言う感じかな。
そもそもわたしは、人の背後に別の人を見てしまう、ということはしょっちゅうあるので、その事じたいは気にもならないのだが、問題は、その画像に映し出されたビジュアルだ。
明治から昭和初期のもんぺ姿の中年の夫人がふたり。木造の木戸の前に立って何かを話しているようだ。そしてその二人の背後にある風景が、私には理解しがたい。
何か長い棒のようなものを振り上げている男達がたくさんいる。いや女もいる。
いずれもこの二人と同じような年格好の人達だ。中には、大けがをしているのか、疲れて休んでいるのか、どうも血を流しているようにも見える人がいる。
これは大げんかの様子なのだろうか?
よくわからない理由のひとつに、この見えている画像がモノクロームのぼんやりした物だと言うのがある。
この写真を背負っている女性は私にとって非常に側近の方なので、私は思いきって、話してみることにした。
彼女の判断では、この写真の時代は、祖母にあたる人の時代かもっと前のようだという。
彼女も祖母のことをそれほど知らないようだが、どうやら農業を営んできた方らしいので、この長くのびている棒は、農家で使う道具かもしれない?
私は、これが何かのメッセージで何か悪いことがおきてはいけないと思っていたのだが、本人はそれほどの興味を示さなかった。
しばらくして、私もこのことは、忘れるとはなしに、忘れていたのだろう。
しかし、最近になって、以前は、はっきり見えなかった手前に写っているもんぺ姿の女性の顔が、その片方の人のアップの表情もよくわかるようになってきたのだ。
そして訴えかけてくる!
それは昭和初期の開拓の時代。土地を耕す仲間達に争いがおきた。この頃は、よくある村の光景であったのだろう。ケガをして呻く声、この人は亡くなってしまったのかもしれない。そんな光景を心の底に抱え続けている人が、彼女の先々代くらいにいるのではないだろうか。
それは彼女の祖母の記憶なのか、もっと以前の人の記憶なのかは今のところ、わからない。でも、その残像が彼女というエネルギーフィルターを通して、発生して見えたは確かだ。
できることなら、いずれ現地に行ってみたいと思う。
さて
先に、人の背後に別の誰かを見てしまう。ということをお話ししましたが、そもそも良くわからないことをいっているな?と、感じた方も多いと思います。
ここで、少しだけ補足させていただきます。
まず、背後の人の見え方は、普通の人物と同じように見えたり、今回のお話しの様に一枚の写真のように、シーンとして見えます。
では、それが何なのか・・・。それをずーっと考え続けてきました。が、未だにはっきりした答えはみつかっていません。
ただ、私は、見えているものが幽霊だとは思っていません。
生きている人も、生きていた人も、こうしたい!こうあってほしい! という希望を強くいだいている場合に、それが強いエネルギーを持つ。その想念のようなエネルギーをキャッチしてしまうのではないかというのが、科学好きなくせに、民俗学が大好きな私の持論です。
こう思うまでには、それなりの理由がありました。
いずれ、お話しを通してお伝えしていきますので宜しくお願いします。
だいぶ時間があいてしまい、すみません。仕事や家事の間に、少しづつ書き溜めたものを掲載していきます。
さて、皆さん!人のエネルギーは、死んでも残っているのでしょうか?私の長年の疑問です。