叔母をみとる 第8話 実は二人の生活は…
私は正月が開けて間も無く、旅行土産を持って、ふみ子のところに新年の挨拶に行った。「房州に行ってきたよ。叔父ちゃんたちも元気にしていたよ。叔母ちゃんたちのことを話したら、心配していたけれど、お金のことはそれぞれがしっかり解決するようにと釘を刺されてきたよ」と、本家の叔父の話もしてみた。そこで、私は思っていた通りの事実を突きつけられることになった。
叔父の話では、義理の母親がなくなる頃、この義母が箪笥に隠してあった通帳や金品を可愛がっていた姪にすべて与えてしまったというのだ。その後、先代から二人に残されたものは、この店と借地のみとなった。最近、泥棒に入られたため、ふみ子の嫁ぐ前からの金品が取られてしまい、お金がない!というのだった。
如何にのんき者の私でも、だったら土地を買うというのは道理に合わない。なんでお金がないのに借金までして購入したのか?と問いただすと、その時は地元の信用金庫さんも来て、売り上げと年金で生活も返済もできるだろうから。とすすめられて、その気になったのだそうだ。
だが実際には、返済を年金で行うと、生活費は全くない!という有様だった。
私は、まず、お店には大きなウインドウ型の冷蔵庫や自動販売機など、光熱費のかさむ機材があったので、売り上げの上がらない店を閉じるように頼んだ。そしてすぐに先日土地を購入した方の母屋を売却して、この店の方で暮らすように。とすすめてみた。
しかし、叔父は、店は常連さんがいてやめるわけにはいかないし、店の方の住居には風呂がないので困る。と言って話は全くの平行線だった。
そのあと、ふみ子と房州のふみ子の実家の話を少しして、その日は帰ることにした。
しかし、2・3日後には叔父から連絡があり、信用金庫が土地の権利関係の書類を不動産屋に持って行って売買に出したという報告だった。
競売に出されるのだったらそんなやり方はないと思い、私の方でも調べてみることにした。すると、きちんとした売買には出されていないようで、地元の不動産屋さんで止まっているようだ。単純に権利書を持っていかれただけだったのか、私への連絡もないままの信用金庫のこうした動きは不思議だった。年寄りに脅しをかけたのだろうか?
そしてその1週間後、生活ができないので。という電話が再度、叔父からありったので取り急ぎお金を届けに行くことにした。
その時の叔父や信用金庫の様子を遠目で見ていて、この人たちではこの家は、このまま売れないだろう。叔父はこのまま店もやめないだろうから、このまま困窮していくのだろうか?と思った。「私に売買の交渉をさせてくれ!お店を閉店してくれ!」と、どんなに説得しても叔父は頭を縦には降らなかった。
2008年の1月から、3ヶ月ごとに50万円を届けることになり、年間200万円が必要になった。そんなことが2011年まで4年も続いた。いい加減に私のヘソクリも底を付いてきた。そんなある日、ふみ子の体調がおかしくなったという連絡が叔父から入ってきた。
ここまでが、二人の転落に巻き込まれていく様子だったのですが、この先は病気との戦いもあり、実質的に手も足りなくなり、ヘトヘトになっていきます。そのお話は次回から・・・。
さて、今回の掲載は遅れてしまいました。仕事が多忙な中、趣味の乗馬も自粛開けして再開したのですが、これで落馬。ま、言い訳ですが8話の記述が遅れましたことをお詫びします。