叔母をみとる 第9話 ガンと困窮との戦い 

叔母のふみ子は数年前から胃が悪いということで、家から歩いて行ける小さな病院に通っていた。この胃痛は全く治らず、あるとき別の大学病院の先生が来院しての診療時に、胃が痛いけど胃はなんでもないんだよ。膵臓が腫れているのだと診断された。

そういった経緯もあり、今回もひどく胃が痛むので通院時に先生に相談したようだ。

どうも今回の痛みは前までとは違うようで、先生から検査機材のある病院にいくように勧められたそうだ。

叔父はふみ子を連れて、区内の総合病院に行って検査を受けさせた。その結果、食道がんであることがわかり、叔父からすぐに来るようにと私に電話があった。

ちょうど会社が忙しい盛りだったので、またその週末に一人で二人のもとを訪ねることになった。

私が行ったときには、叔母が痛みを訴えてから1ヶ月くらい経過していたのだろうか。

だいぶ気持ちが悪いようで、状態はよくなかった。検査をしてくれた先生が誰か相談できる人に会いたいと言われているという話を叔父から聞かされた。

検査後、先生からすぐに手術を勧められたようだが、ふみ子は拒んでいた。また叔父も迷っていた。食道がんの手術は食道の管が細く、そう簡単ではない。ふみ子の年齢的なこともある。が、しかし、手術しなければ、数ヶ月で亡くなってしまうだろう。

まずは先生に会って詳細を確認しようと思い、3人で病院へ行くことにした。

この区内の総合病院にはちょうど都内の大学病院の先生方が出向しており、食道の手術もその専門の先生が出頭するので、死亡リスクは低いと聞かされた。若い担当医はふみ子に一生懸命手術をすすめてくれた。手術が成功すれば数年は生きられる。

私は二人に手術を受けるようにすすめた。ふみ子にはもっと長生きしてほしい!

とりあえず叔母は入院することになり、私はひとまず帰って主人たちや、ふみ子の本家の叔父やふみ子の兄弟にも相談することにした。

こんな時、ふみ子の兄である父が生きていればな。と思う。

親族に電話をしたり、主人・母・弟と話たり・・・、でも手術に関しては、意見は割れていた。家人の意見は手術させる方向、親族は本人次第だ。ということだった。

数日後、主治医から私に連絡があり、手術を決行しようということになった。

電話を切るなり私はふみ子のところに向かった。ふみ子に先生の様子を話すと・・・。

「お金がないんだよ」と一言だった。

私は仰天して、叔父にそんなことはないよね。と確認すると叔父は「うん」と頷いた。

ホッとして叔母に大丈夫だってよ。と伝えておばちゃん頑張ろうよ。というと

ふみ子は「あと5年生きたい!」といった。

叔母は即入院して、手術日を待つことになった。

病院は私の家からは遠く、電車を降りてから、バスを2本乗り継いでやっとたどり着くといった状況だった。

叔父からも電話があったので、私はかわいいブリザードフラワーを持って面会にいった。そのとき、ふみ子は叔父を心底疎んじているように見えた。

私もふみ子と二人で話がしたくて、早く叔父が帰らないかな。と思っていたのだが、どう言われていても叔父は帰る様子がなかった。

後になってみると、あれがふみ子の本音だったと強く感じる。

このことについては後日話すことになると思う。

ふみ子は私に笑って話しかけていた。前向きになっている。よかった!と思った。

ま、叔父がずっといるのでしかたなく、「そろそろ帰ります」というと叔父もじゃ帰ろうとついてくる。

遠いから車で送ってくれるのかな。と思うとそうでもない。なんだろうと思っていると、入院費が払えないという相談だった。

怪しいとは思っていたが、「叔父はもしもの時のお金はある」といってそれを使いたくないからという理由で私に生活費を工面してくれと言い続けていたのだが、それは嘘で、どうやら本当にちょっとのお金も持っていないらしい。ふみ子はそれを知っていたので、最初は手術を拒んだのだろう。

私はバスを乗り継いで家に帰ると、その事実を家人に伝えた。

「おばちゃんは、泥棒が入ったとかいっていたけど、本当はおじちゃんにお金取られちゃったんだと思うよ。だから叔母には、もう手持ちがない!それで手術を拒んでいたんだろうな」と主人と弟は言って俯いた。

とにかくふみ子が可哀想だということが二人の頭をいっぱいにしていることが手に取るようにわかった。

たとえ叔父にお金がなくても手術をやめさせようとは誰も思わなかった。

その後、病院からの請求書が届いたり、手術の承諾書など、諸々の手続きで毎日のように叔父から電話があった。

手術は無事成功して、叔母は快復に向かっていった。

そのころ今度は手術日の支払いで叔父から連絡があった。今度は本家にも相談するようにと少々厳しく叔父に告げた。

先生からは退院に向けての電話があった。順調に快復しているが、高齢と痩せて体力がないこともあり、今、退院してもすぐには動けないだろう。少しずつ家の中のことができるようになるまで、ヘルパーさんを頼んでください。ということだった。

叔父にそれを話すと、真っ向から断られた。

家の中に他人を入れることはできないので、私に家にきて用事をするように。ということだった。

私は家族もあり、会社もあるので、それは無理!我が家のこともできずに家政婦さんがいるくらいだからな〜。なんども叔父に頼んだが受け入れてくれないので、病院の先生に相談した。これによって叔母はある程度動けるようになるまでは入院していることになってしまった。

今考えれば、これがいけなかったと思う。早々に退院させてリハビリ施設に通ったり、ヘルパーさんをつけて家で過ごせるように、どんなに強引にでもしなければいけなかった。

ふみ子が帰ってくる前に、安心して生活できるようにと夫が時間を作っては江戸川区内のいろいろな相談できる場所に二人で出かけた。

介護保険を使えるのでヘルパーさんは簡単についてくれる人が見つかりそうだったが、生活保護はやはり不動産があるので簡単には受けられそうになかった。

年金と保護費と不動産を精査すると、結局今の年金分と変わらないのだ。

現状、返済ができないのだから売ってしまうより他はないのである。

「伸さん、疲れたでしょう。もういいよ。とにかく売るしかないね。」私は夫に心底感謝し、叔父の説得を心に誓った。

私はふみ子になんとか叔父を説得してもらえるようにと、面会に行った。

まずはヘルパーさんのこと。これはふみ子自身は、あってもいいかも。という感じだった。

ただ叔父は他人を家に入れることはできないと、ふみ子にも強く言っているようで、再度叔父に話そうということになった。家の売買についてはふみ子は寂しそうだったが、「おばちゃんはうちに来たらどうだい」というと、ふみ子はとても優しく、「体がよくなったらゆっくり話してどうするかを叔父に話すよ。」私と一緒にいたい。と言ってくれた。

私は帰ってから叔父に電話をした。

「ふみ子を引き取るよ。それでヘルパーさんもつけて静養してもらう。」

「同時に家は売りに出そう。」と私は叔父に話を持ちかけた。

しかし叔父は、ふみ子を引き取ることは許さない。ヘルパーもダメ!

退院したらお前とお前のお母さんが江戸川の家に来て家のこと、ふみ子のことを全部やるんだ!といい放った。

長男の家のものなんだから妹の家族の面倒を見るのは当然だというのである。

どうもふみ子の本家の私の叔父(父の弟)とも手術費用などの件で揉めたようで叔父は一歩も引かなかった。

誰に相談しても、こんな理不尽は今時ない。それに嫁に行った先の家の面倒まで大昔だって見なかったと言われる。・・・そうなのだが、実際にお金もないし、生活がままならない。でも保護費も受けられないのだから、八方塞がりだ。

そんな中、手術から2ヶ月が経ってふみ子が退院してきた。

ふみ子から、退院してきたよ!と電話があった。

「ヘルパーさんも頼んじゃダメだっていうし、おばちゃんどうするの?」私は泣き声になっていた。

「大丈夫だよ。だいぶ良くなった。少しゆっくりしてもう少し元気になったら、会いたいよ!」「会いたい!」とふみ子は繰り返していた。

叔父は全く私の言うことを受け入れないし、叔父の言うようにその家に通うことはできないけど、とにかくまた様子を聞かせてね、と言って電話を切った。

私は家人と話し合い、少し経過を待つことにした。

それから1ヶ月くらいして、「ふみ子が死んだよ!明日が葬儀だ。」と叔父から突然電話があった。

叔父は意地を張って一回も連絡をくれなかった。

叔父はふみ子を手放すと自分だけ放り出されると思って最後までふみ子を渡さなかった。こちらもできることが限られているので経過を待っていた。その結果がこれだ。

主人に会社のことは頼んで、弟と二人で葬儀に駆けつけた。

死因は餓死ではないかと思う。退院してから、料理もできないので何もいらないと言って、食べなかったそうだ。叔父が殺した。私はそう思い、叔父に食ってかかった。

叔父はお前やお前のお母さんが家政婦として働かないからいけない。お前が悪いんだ!と言ってきた。

ふみ子と仲の良かった近所の方々だけで葬儀は略葬で行われた。喪主の叔父はお坊さんも呼ばず、親族にも連絡をしなかった。

駆けつけた私と弟だけが、ふみ子の肉親だった。そんな葬儀に弟もあっけにとられ、俯いたまま、しっくりこない気味の悪さを訴えていた。

今ではコロナで簡易的な葬儀が多くなったようだが、あの頃はお寺のお坊さんがいない葬儀など見たこともなかった。ただ数人の参列者でご遺体を火葬しに行く。なんとも腑に落ちない気味の悪さを感じたのは確かだった。

火葬場から帰ると、そのまま叔父を残して私たちは叔父の家を出た。

私が落ち込んでいると、弟は優しく慰めてくれた。

「姉ちゃん、おばちゃんは死んでかわいそうだけど、今まで色々やったしこの先、もっと辛い目に合わなくて良かったのかもよ。・・・これで、あの家のことも終わったんだよ。お終いにしな、ねっ!おばちゃんが不幸を全部もっていってくれたんだよ!」そう言ってくれた弟を見て、ああ、弟がいてくれて良かった。と、ふと思った。

今回、だいぶ間が空いてしまいましたが、仕事の合間にぽつぽつ書いていきますのでこれからも宜しくお願いします。

今回のお話では叔母が死んでしまいました。これでおしまいになるかと思ったのですが・・・まだまだこの先がもっと大変になっていきます。