地産地消の取材を終えて

先月、地産地消について記載した。今回は、その後日談である。
取材を終え、そろそろ地元グルメという冊子が完成を迎え、相鉄沿線のラックに置かれる頃だ。ご自身の顔や言葉がどういう具合になって掲載されるのかと、ご協力いただいた方の中には楽しみに思ってくださっている方もいらっしゃるかもしれない。そう思えるほど、今回出会った方々はピュアな人が多かった。
ある農家では、新しい野菜づくりに取り組んで、そのおいしさ・強さ・糖度など、あらゆる面で試行錯誤を重ねていた。またある農家では、自家製トマトケチャップなどの加工品づくりにも着手していた。畜産業では、ブランディングに成功して海外からもその手腕を後押しされる方もいた。酒造では、米作りから自家製にこだわり、ここにしかない酒が完成されていた。みんな生き生きと農業に取り組んで、いい顔を見せてくれた。
こうした野菜や食材を販売するルート、ショップには行政が敏腕を奮っていた。そう、どんなにいいものが作られていても販売できるところがなければそれまでなのだ。そこにきちんと行政が着手して、町のみんなの手に届くようになっていた。
しかも、野菜などの素材だけではなく、こうした素材を加工したお総菜も販売されていた。
今回取材させていただいたのは神奈川のある地域のみだが、ここでは農家も行政も一緒になって頑張っていた。
そういえば、私が子供の頃は、祖母の家に遊びに行くと近所の農家のおばさんが野菜を持ってきてくれていた。昔は、地産地消が当たり前だったのだろう。地元農家でとれた野菜などは、いただくことも多かったようだ。みんな持ちつ持たれつで生活していた時代もあったのだ。それが形を変えて整備され、システム化されて、今、地産地消という名で蘇った。
しかし、ショップに聞いてみると、購入者は本当に近くに住むアッパー世代がほとんどとのこと。地産地消としてはこれでよいのかもしれないが、如何にももったいない話しだと私は思う。休日に買いだめしに、スーパーへ出かける若い世代は、こういうショップには、あまり顔を見せないようだ。無農薬・無肥料で頑張ってできた野菜には、時々、虫がついていたり、おもしろい形のものもある。こうしたものを嫌うそうだ。
アレルギー対策に事欠かないような世代が、こうした野菜を嫌うことは、知識レベルが知れてしまう。地産地消…、本当の意味で促進するなら、まず、消費者一人一人の認識を変革するような告知が必要だ。メイド・イン・ジャパンをもっと身近に感じて、もっといいものを実際に利用できるように。
そしてこれは食材だけの問題ではない。日本の素材・技術・・・、すべてが危機と感じる。たとえば、昔の日本の洋服は素材もよく、縫製もしっかりしていた。何度洗っても痛みが気にならないものだった。しかし、今はどうだろう…。安かろう・悪かろう、が、当たり前になってしまっている。本当にいいものを知らない世代は、いいものを買えないのだ。ものの良さを知らない…、とは、不幸な時代だ。そして、そういう人々に、良さをわかってもらうには、実際に使わせるしかない。生活環境にあるすべての「もの」をメイド・イン・ジャパンで比較的安価に提供していくこと。それが、今後、この国を変えるチャンスにつながるはず。
私は、地産地消を「食」だけにとどまらせずに、地域のもの・技術を地域で使っていくシステムと、利用者一人一人の努力の大切さを痛感させられた。こう考えれば技術の地産地消は、私の地域にもたくさんある。今後、この一つ一つをどう後世に残し、さらに広がりを持たせることができるのかという課題に取り組みたいと思う。

取材時におけるクリエーターの視点とは・・・

  1. 正確な内容を即座に理解する理解力。
  2. 話し手が話したくなるような誘導。
  3. その取材から新しい企画につながるアンテナ的な視点と発想を常にもつ。
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  • ルラックのクリエイティブmission blog 著者の 株式会社ルラック 代表取締役 紀中しのぶ です。
    どんどん大きな社会問題が浮上していく中で、クリエイター集団の「私たちにできること」をアイディアとして考えていく「仕事のアイディア」では、いくつかのビジネスプランニングが生まれています。デザイン力・企画力・技術力・長年培ってきたノウハウを、この小さい会社の経営者が全ての方に向けて公開していきます。
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