叔母をみとる 第1話 ふみ子が訪ねて来る!

子どものいない叔母をみとるということ。

1、ふみ子が訪ねて来る!

「おい、ふみ子が来るってよ!」受話器を置きながら、父が目を大きくして嬉しそうに、私たち家族みんなの方を向いて叫んだ。

ふみ子は父の妹で、長男の父を筆頭にした7人兄弟の2番目。要は長女である。
その7人のうち、父と、ふみ子と、その下の妹の3人が千葉県の久留里町から東京に出ており、私が幼い頃は、毎週のように叔母たちとの交流があった。
特に父は、2歳しか年が違わぬふみ子とは気があったようだ。その頃ふみ子は独身で毎週末遊びに来ては、トランプをしたり、銭湯に行ったりと、私を可愛がってくれた。

私に7歳年下の弟が生まれた頃、ふみ子は江戸川区の商店街のある商店にお嫁に行った。若い頃に子宮ガンになり、子どものできない身体になっていたふみ子は、40歳過ぎての遅い結婚だった。その後も父は叔母のことが気になったのか、親戚づきあいといいながら、たまには足を運んで様子を見ていた。

10年くらいしてお姑さんも亡くなり、葬儀もすんだ頃、父はふみ子から、お店のある商店街の通りからちょっと脇に入った借地を今は倉庫にしているので、そこに家を建てようと思う。という話を聞いてきた。
夫婦二人っきりの生活で、家は2つもいらないだろう。アパートにでもした方がいいのではないかと、父は反対したようだった。しかし、後日、家が完成し、私たちはお披露目に呼ばれた。

その家は3階建てで、一見ふつうの邸宅のようだった。でも一歩入ると1階の倉庫の天井が異様に高い。1.5階分はある。2階は普通の和室、3階はがらんどうの広間である。

案内される父は、ふみ子にどういう使い勝手なのかを聞いていた。すると1階は、商店街のお祭りに使う花ぐるまを入れるための倉庫で、2階は自分たちの寝室。3階は商店街の集会に使うために作ったという。父は呆れてしまい、それで将来もやっていけるのかと心配もしていたが、叔母夫婦は、喜んでくれない父に立腹し、もうあまり来ないようにと言われてしまった。

その後は、東京にいたもう一人の叔母が父とふみ子の連絡役となった。このあさ子という叔母は、ふみ子のすぐ下の妹で、栃木県に嫁ぎ、その子どもたちもすでに所帯をもって近くに住んでいた。家族で、ふみ子のところに訪ねてきては、途中、私の家にも立ち寄ったので、ふみ子のところの、景気のいい様子はよく聞かされていた。また父の一番下の弟家族も、ふみ子の家によく泊まりに行っていたようで、父はみんなの交流からある程度は安心していたのだと思う。

そして私たちは、祖父の葬儀や従兄弟の結婚式などの冠婚葬祭で会うくらいになり、20年近くの間、あまり交流がなくなっていた。

そんなふみ子が、もう70歳にも近い年になって、急に訪ねてくることになったのだ。

叔母ちゃん、変わったかね?そりゃ、歳もとったから変わっただろう!などと私たち家族は言い合いながら、ふみ子の来るのを待つことにした。

だが電話のあった3時ごろから、待てども一向に来ない。そのうち暗くなってきて、「来ないね〜」と話していた父の顔がとても寂しそうに怒っていた。諦めかけた夜10時ごろ、ピンポンが鳴って叔母だった。タクシーで来たのだが、道に迷ってしまって・・・。というのだが、こんなに何時間もおかしなことだ。と呆気にとられてしまった。

しばらくの間、懐かしさもあり、とりとめのない話をしていると、母が預かっているお金があることを思い出した。それは祖母の葬儀に出席できないというふみ子から預かり、一部を不祝儀等にしたものの残りであった。

ふみ子はこの何年も前に預けた金の残金を受け取り、その後、あまり話さずに帰っていった。

私たちは、ふみ子がいったい何しに来たんだろう。全く要件がなかったわけではないだろうに、と顔を見合わせた。

後に母が、あの気っ風のいいふみ子さんが、あの時のお金をぎゅっと握った様子が印象に残ったといっていた。すでにあの時ふみ子は、お金に困り始めていたのかもしれない。

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