取材でしかわからない日光・奥日光の不思議
取材してまわったいろいろなことを母に知らせたいと、今年3月にふたりで出かけた日光。いきさつは前号でお話ししましたが、今回はそのルートを簡単に紹介しましょう。
■駅前から世界遺産号(巡回バス)に乗り、山内の玄関口になる輪王寺へ。東照宮ができるずっと前から、地域を守ってきた3体の大きな仏様。この地に四国のお遍路さんのように仏をめぐる風習があって・・・といった仏さまの当時のルーツを話しました。
■大鳥居を潜り、東照宮へ。陽明門では唐子などの教えや北斗七星の蘊蓄をして中へ。左側、神輿舎では頼朝、秀吉、家康の3つの家紋の神輿がある理由。祈祷殿では親孝行する鳥の彫刻を語り、眠り猫の裏に雀のいるのはなぜかなど話しながら家康公の眠る奥へ。凛とした言葉では言いようのない空気感に包まれて感動。これは母も同じだったようで時々今でも話題になります。
■昼食は葵横町に金谷ホテルが出店するレストランで百年カレーを。
■その後、二荒山神社では、ご神体の大黒様の話、この周辺の山々を含む地が境内である話などをして、その雄大さに溜息。
■この日は、これで山内を後にして金谷ホテルで一泊。
■和食中心の生活の母にはホテルの料理はどうかなと少し不安もあったが、ホテルの方の気遣いも気持ち良く、ゆっくりと過ごせた。
■翌朝、皇太子殿下(現在の陛下)の同級生たちが疎開されていたころにその中のお一人が残したという絵日記を、ぜひ母にも見せたかったので、金谷の時間と言うギャラリーへ。年代的にも思うところがあったようで、どんなおぼっちゃまでも、あのころはおなかが空いていたのかななどと言って、疎開先の絵日記には食べ物の内容が多いことを笑っていた。
■お庭で社長に会い、ごあいさつすると、池に水芭蕉が咲いていることを知らされた。小さくても自生する力強さを感じていい気分だった。
■金谷ホテルを後にして、神橋を渡る。大谷川に橋がかけられた伝説を話しながら、雄大な流れをじっくりと堪能。
■ここでバスに乗って田母沢御用邸へ。屋敷の奥へ奥へと障子を抜けていくと、部屋の風景が明治からだんだんと江戸の武家の風情に変化していく。母は、格別この御用邸を気に入ったようで、観光の足の少ないのをいいことに、館内の案内の方に話かけて暫く、お話した。案内の方も随分奥深いお話をしてくださって楽しいひと時をすごせたので、ここへ来ただけでも、旅の甲斐があったと母も喜んでくれた。最後にお庭を一巡りして防空壕を見つけて吃驚しながら、細い道に面した門から出て、この道の謂れを説明しながら観光センターへ。
■お土産をたんまり買いこみ、匠で昼食。あとは駅までまっすぐの道を歩きながらあちこちの店を眺めて帰路へ。
企画や取材っていうものとは!
立ち寄る先々で、観光情報にのっていない、通常ではガイドさんにも聞けないような話をしながらめぐった日光。
これは何度も日光の顔というような方々を訪ねて、知り得た情報です。でも情報誌に書けるのはその中のほんの一部。それをもったいないと思ってはいけません。それは外部の人間としては私しか持たない情報が蓄積できていく訳ですからね。それにしても今回は母に話せてよかった。母もそれを喜んでくれました。
前号でもお話ししたように、考案したシナリオを頭に入れて取材し、多方面の話題をふりながら、神髄に迫っていく。そうすると意外なことまで教えてくれますよ。