自らの力を信じて。地震後の下町より
幼いころ祖母から関東大震災の時の体験話を聞いた。当時は車も通らないから、揺れを感じた時に通りのど真ん中に立って目を伏せ、顔を覆っていたそうだ。ほんのちょっとの間が過ぎて、ふと見上げると屋根は落ち、まわり中がペッチャンコだったそうだ。
関東以北を襲った昨日の地震は、それに比べると長かったように思う。どうかな~、あれ、大きくなってきた!あ、大きいぞ!くらいの間があった。ちょうどクライアントと電話中だった私は、そんな風にまあまあ冷静に揺れを確認してから家族の側に駆けつけた。
小学生はまだ学校に居る時間だったようで、子どものいるものはお迎えに出た。夕飯のお買いものに出ている人も多い時間帯だったと思う。たまたま私の家族親族はすぐに集合することができたので一安心。しかし、社内のものは交通がシャットアウトされて帰れないことに。さて、電話は繋がらない・・・。家族の安否も確認できない。
しかし、ツイッターは生きていた。みんなツイッターで確認をしあいながら、行き先を決めて帰路につくことになった。凄いぞ!ツイッター。
近所に住む母の従姉である老夫婦と、地震の後、連絡が取れなくなって心配になり、22時ころ、家まで見に行ったのだが誰もいない。その道すがら、下町の路地までが渋滞しているのを目の当たりにした。大通りには人がぞろぞろ歩いている。学校はカンカンに電気がついていて物々しい。あ~、これが災害っていうものの風景なのかな。と、はじめて思った。途中、壁が落ちちゃった家、瓦が落ちちゃった家がいくつかあった。東京は震度5だ。都心は弱い。弱すぎる。
結局、この老夫婦は都心のバスの中でこの地震にあっていた。
23時にやっと帰宅して、その連絡を受けた。若い人は途中下車していったそうだが、山の手方面まで電車で行って、そこから乗りこんだバスである。この老夫婦は降りたら、土地勘もなく、そのまま乗車しているほかはなかったようだ。しかし、この人たちは強いのだ。60数年前のやはり3月だ、東京大空襲を経験している。
母もそうだが、下町の年寄りたちは、今回、意外と落ち着いていたように思う。みんな自らを守る力を持っているようで、逞しい。
災害は結局、運かもしれない。それと状況に応じた判断力か。何事も、そうかもしれないが、現場でのとっさの判断という奴ができるか、できないか・・・、これが大きい。そして、意外な人たちがこれを身につけていることに気付いたのだが・・・。いや、以外ではないのかもしれない、戦中戦後のドサクサを生き抜いた人たちは、やっぱりそれなりの力を持った人たちなのであろう。
こうした大きな判断をしっかりできない戦後派は、まだまだ学ばなければいけない気がする。特に政治家のだらしない様にはニッポン国民として非常に恥ずかしさを感じる。今回の災害対策、原発対応策・・・、いかなる判断でむかうのだろうか?いいえ、私は、政治より、ニッポン人ひとり一人の力を信じる。きっと今回も乗り越えて復興していくものと。
翌日になって、コンビニでは食品など商品がまばら、病院は開けるに開けられないなど、物資の輸送経路が混乱している状況だ。都市部の混乱はまだまだ続きそうである。
震源地の被災者の皆さんの状況はテレビ等でしかわからない。どうか、つらいでしょうが頑張ってください。心から皆さんの幸運を祈ります。